暦の歴史

日本ではじめて暦が作られたのは飛鳥時代の推古12年(604年)のこと。中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わり、大和朝廷は百済から学者を招いて作られました。日本最古の歴史書である「日本書紀」に、百済から「暦博士」を招いて「暦本」を入手しようとした記事があると言われています。

「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」とは

当時の暦は「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」「太陰暦」「陰暦」と呼ばれる暦でした。「太陰」とは天体の月のこと。太陰太陽暦では、1ヶ月を「月の満ち欠け」の周期に合わせ、新月のはじまりを各月の1日として数えていき、天体の月が地球を周る周期の「約29・5日」を1ヶ月として、29日の月と30日の月を作り、30日の月を「大の月」29日の月を「小の月」と呼んでいました。

しかしこの「太陰太陽暦」は、繰り返しているうちにだんだんその暦と季節が合わなくなっていきます。それは、地球が太陽の周りをまわる周期が約365・25日のため、2年〜3年に1度、閏月(うるうづき)を設けることでそのずれを調整し、その年については1年を13ヶ月とすることで季節と暦を調整していく必要がありました。日本では、明治5年(1872年)まで、この太陰太陽暦を使用していました。

宣明暦(せんみょうれき)

もともとは中国で作られた暦であり、渤海(ぼっかい)を経由して伝来し、その精度の高さから日本でも採用されるようになりました。貞観4年の862年から1684年までの823年もの間、継続して使用され、史上最も長く採用された暦となりました。この「宣明暦」は日本文化に大きな影響を与えましたが、次第に暦と天の動きが合わないことが問題となり、江戸幕府のもとで暦を改めようとする動きが起こるようになり、改暦を余儀なくされました。

貞享暦(じょうきょうれき)

貞享2年(1685)に渋川春海(しかわはるみ)によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。これを「貞享の改暦」といい、暦号を「貞享暦」と賜りました。それ以前は、春海はこの暦を「大和暦」と称していました。貞享暦は、渋川春海が自らの観測に基づき、中国元代の授時暦に中国と日本の里差(経度差)を補正し、1年の長さが徐々に変化するという消長法を援用して改良した暦法です。1685年から1755年まで70年間使用されました。

宝暦暦(ほうりゃくれき)

日本で作られた2番目の暦法です。8代将軍徳川吉宗が、西洋天文学に深い関心を寄せ、それを取り入れた斬新な暦法を作るよう命じたことに端を発し、吉宗の改暦意図に沿うためという政治的な動機で行われた暦法です。天文方の渋川則休(しぶかわのりよし)や西川正休(にしかわまさやす)は吉宗の命を受けて改暦の準備を進めましたが、正休らに改暦の実力がなかったため、土御門泰邦の主導により改暦が進められました。この暦は「宝暦甲戌元暦(ほうれきこうじゅつげんれき」と名づけられ、宝暦5年(1755)から施行され、1798年まで43年間使用されました。

寛政暦(かんせいれき)

寛政7年(1795)幕府は西洋天文学を取り入れた暦法に改暦をしようと、高橋至時(たかはしよしとき)と間重富(はざましげとみ)を起用し、主に『暦象考成後編』にもとづき「寛政の改暦」を成し遂げました。「暦象考成後編」を研究し、西洋天文学を取り入れた学期的なものとなりました。寛政10年(1798)に施行され、天保14年(1843)までの46年間続きました。

天保暦(てんぽうれき)

太陰太陽暦の中で最後に使用された暦法です。寛政暦は中国の天文暦書を通じてのものであったため、高橋至時は『ラランデ天文書』の蘭訳を命じられ、その後、高橋景保(たかはしかげやす)と渋川景佑(しぶかわかげすけ)らによって『新功暦書』40冊が完成しました。そして天保13年(1842)に天保暦の暦法を記した文書である『新法暦書』を完成させ、天保15年(1844)から施行されました。天保暦は1872年12月までの約29年間使用されていました。

「太陽暦」とは?

その後、明治維新(1868)により、日本は西洋の制度を導入し近代化を進めていくようになっていきます。明治5年(1872)の12月3日を、明治6年(1873年)1月1日とし、暦についても欧米との統一をはかりました。このとき、準備期間がほとんどなく、国内は混乱したと言われています。明治6年(1873年)より、現在使用されている「太陽暦」(グレゴリオ暦)が施行されるようになりました。

「グレゴリオ暦」とは?


1873年(明治6年1月1日)より、現在日本で使われているグレゴリオ暦が施行されました。この暦は太陽の動きをもとに作られているため「太陽暦」とも呼ばれています。グレゴリオとは、自己の暦を制定したローマ教皇の名前であり、「4年ごとに閏年を入れること」で、公転周期の誤差を調整しています。1年を地球が太陽の周りを1回転する期間として、12ヶ月を設けるのは、古代ローマ以来の風習が伝わったものと言われています。

旧暦とは?

現在私たちが使っているグレゴリオ暦は「太陽暦」と呼ばれていますが、この暦が施行される前までは、月の満ち欠けをもとにした「太陰太陽暦」を使用していました。明治6年(1872)に明治天皇の布告により新たにグレゴリオ暦が導入され、明治5年12月3日を、明治6年(1873)1月1日に置き換えられました。そのため、太陽暦への改善の直前に使われていた「天保暦(てんぽれき)」と呼ばれる暦のことを「旧暦」と呼んでいます。

まとめ

私たちが使っているカレンダーや手帳には、春分、秋分、夏至、冬至、立夏、立冬などの言葉が記されています。デジタルに慣れた現在の生活の中で、ゆっくりと自然な季節の変化を感じながら、日々の小さなの幸せと豊かな心を手に入れていけますように。