「宿命」とは

「宿命」とは「命が宿る」と表されるように、私たちがこの世に命を授かったときに、既に私たちの中に宿っていたものです。生まれた場所、両親、環境、性別、国籍など、宿命は変えることができません。この宿命を知ることで、自分が生まれてきた目的や使命を知ることができ、運の流れにあった生き方ができるようになります。変えられない「宿命」の中で、私たちは変えることのできる「運命」を生きています。

「運命」とは

「運命」とは、「命を運ぶ」と表されるように、自分たちの意思によって、授かった命を運んでゆくという意味があります。「運命」は自分の意思や行動によって変えることができます。人生の中にある多くの選択肢の中から、どの道を進むかによって運命は変わってくるのです。例えば、自分と同じ生年月日の人が同じ人生を歩むのかというとそうではありません。その理由は、基本的な性質が同じであったとしても、周囲の環境や1つ1つの選択が変わってくるためです。

「天命」とは

「天命」とは、天から与えられる命、または生まれてくる前に自分が決めてきた、この世で果たすべき役割のことです。自分が一生をかけてやり遂げなければならない役割で、自分の使命を生きることで見つかりやすくなると言われています。「天命」を知ることは簡単なことではありませんが、これまでどんな人生を歩んできたか、どんなことに時間を使ってきたかを明確にすることで、自分の天命を知るきっかけとなります。特に幼少期の出来事は、自分の天命や使命とつながっているといわれています。

「使命」とは

「使命」とは、自分の命(時間)の使い方をさします。この世に誕生し、生きている間に、この命をどのように使うのかということであり、これは「天命」に向かって使っていく命とも言えます。「使命」とは誰かに強制されるものではなく、自分で見つけていくものです。それを考えるとワクワクしてきたり、情熱が湧き上がってきたりするようなもので、頭で考えて答えを出してみたり、周りからの声や世間の評価を基準に選ぶものではありません。人間は皆、宿命の下に生まれ、運命をそれぞれ歩み、天命に近づきながら一生を過ごします。

「五十にして天命を知る」

孔子『論語』の一文をご紹介します。

「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」

「先生がいわれた。わたしは15歳で学問に志し(志学 しがく)、30になって独立した立場を持ち(而立 じりつ)、40になってあれこれと迷わず(不惑 ふわく)、50になって天命をわきまえ(知名 ちめい)、60になってひとのことばがすなおに聞かれ(耳順 じじゅん)、70になると思うままにふるまって道をはずれないようになった(従心 じゅうしん)。」

『論語』孔子著 岩波書店 1999年 

当時の50歳と現在の50歳では、年齢の感覚は違うと思いますが、組織から離れたり、子どもが巣立ったりすることで、自分と向きあう時間が増えてくるころかもしれません。50代、60代、70代、80代をこの先どう生きていくのか、自分の人生を振り返り、天命を知るために、この先の命(時間)を大切に生きていきたいですね。