【1】乾為天(けんいてん)

【1】乾為天(けんいてん)

けんは、おおいにとおりて、ただしきにろし。
初九 潜龍、用うるなかれ。
九二 見龍田けんりゅうでんに在り、大人だいじんを見るに利ろし。
九三 君子くんし終日乾乾けんけん。夕べに惕若てきじゃくたれば、あやうけれどとがなし。
九四 或いはおどりて淵にあり。咎なし。
九五 飛龍天に在り。大人を見るに利ろし。
上九 亢龍こうりゅう悔い有り。
用九 群龍ぐんりゅうかしらなきをみる。吉なり。

大いなるかな乾元けんげん万物資ばんぶつとりてはじむ。すなわち天を統ぶ。雲行き雨施しほどこし、品物形をく、大いに終始を明らかにし、六位りくい時に成る。時に六龍に乗り、もって天をぎょす。乾道けんどう変化して、おのおの性命を正しくし、大和だいわ保合ほうごうするは、すなわち利貞りていなり。庶物に首出しゅしゅつして、万国ことごとくやすし。象に曰く、天行は健なり。君子以て自彊じきょうしてまず。

帝王学の書である「易経」の中から、龍の成長物語を取り上げた「乾為天(けんいてん)」は、六つの段階を通して、物事の成功の条件と失敗の条件が書かれています。

第一段階「潜龍」
地中深くに隠れていてまだ世の中に認められる状態ではない龍のこと。
第二段階「見龍」
地上に現れ、師を見習いながら物事の基本を学ぶ時期。
第三段階「乾惕」
同じことを繰り返しながら日進月歩の成長をする時期。
第四段階「躍龍」
リーダーになる一歩手前。大空へ昇ろうと躍り上がる時期。
第五段階「飛龍」
リーダーとしての能力を発揮して志を達成する時期。
第六段階「亢龍」
高みに昇りすぎた龍はやがて力が衰え、降り龍へ。

今回は、第二段階である「見龍」についてまとめました。

【2】見龍(けんりゅう)

「見龍」は、龍の成長物語の中の第二段階、時を得て地上にあらわれ、世間から見られるようになる時期です。「見」という字には「見える」「出会う」「見て学ぶ」という意味があり、これから師となる人物を見て学び、見習いの修行をしていくことを意味しています。

「師」となる人との出会い

見龍が地上に出てくることができたのは、自分1人の力ではなく、将来の可能性を見出してくれた大人と出会い、地上に引き上げられたから。この大人とは「飛龍」のことであり、その存在は「将来こうなりたい!」と思う自分の未来像を実現している師となる人物のことです。師となる大人との出会いにはさまざまなパターンがあって、大人から見出される場合や、自分から願いでることなど様々です。どんな人に出会うか、どんな人と関わるかによって人生は変わっていきます。人との出会いは人生の転機となって、自分自身の成長につながっていくのです。人が成長するときには、必ずこのような師との出会いがあります。そしてその志が確乎不抜であるのなら、共振共鳴が起こり互いに引き寄せあって、その志にあった師と出会うことになるのです。

基本の「型」を身につける

まず基本の「型」を見様見真似で身につけることが大切になります。この「型」は成長するための基盤となるため、しっかりと身につけていく必要があります。見龍はまだ技術を習得する段階ではありません。基本の型ができていない段階で期待に応えようとしたり、焦って何かを成し遂げようとしてもうまくいかないのです。まずは大人のコピーに徹するように、大人のやることを丸ごと真似て覚えていく。そして基本の「型」を体で覚えながら時を捨てて一心不乱に学ぶことが大事な時期です。応用力や独創性を発揮しようとするのではなく、大人をそのまま受け容れて徹底的に聞き従っていくことが大切です。

勘違いしてはいけない 〜見龍の目くらまし〜

基本の型を身につけていくうちに、だんだんと師の真似を自然にできるようになってくるようになります。そのときに多くの人が陥りやすいのが「見龍の目くらまし」です。これは、何もかもが見えたように錯覚してしまうことを指していて、本当はまだやっと師の物真似ができただけの段階にも関わらず、全てをマスターしたと勘違いしてしまうことです。最初のうちは素直に言われるとおりにやっていたとしても、少しできるようになってくるうちに「自分ならこうしていく」「そのやり方は合わない」などと、自分勝手な考えが生まれてくるようになります。そうなるとだんだんと型がくずれ失敗してしまうのです。いくら型をマスターしたとしても、師と同じレベルに達したわけではありません。まだ目の前に映ったもの、垣間見たものしか見えていない段階であり、俯瞰して客観視できているわけではないので注意が必要です。

「時分の花」と「まことの花」

人に感動を与えることを「花」に例えたとき、10代や20代の若い時期にもその時に応じた花を咲かすことができます。でもその花は「時分の花」といって「その時だけの花」であり「まことの花」ではありません。若さや容姿、新人の珍しさで褒められることもありますが、それはあくまでも「時分の花」にすぎず「まことの花」と勘違いしてしまえば真実の花から遠ざかってしまうということになります。人はどうしても、早く技を身につけて立身したいと思うものです。でもいくら焦ったとしても、建物の基礎を作らずに柱を立てることはできないのです。

まとめ

ずっと潜っていた龍が見龍となって世間に見られるようになってくると様々な出来事が起きてきます。あれこれとやりたい気持ちが溢れてきますが、基盤のない建物はもろく崩れてしまうもの。師から学んだことを素直に受け容れ、しっかりと基本の型を身につけていくことが大切なポイントです。自問自答のやり取りをしながら、自分の経験を通して学んでいくこと、そして、要点だけを聞いて短絡的にわかった気になるのではなく、本当に理解できるまで土台を固めていきながら成長していくことが大事になります。

参考文献 / 竹村亞希子「超訳 易経 陽―乾為天 」

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